日本心臓財団刊行物

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耳寄りな心臓の話(第42話)『凍てつく心臓を守る』

『凍てつく心臓を守る 


川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)



  心臓手術の多くは人工心肺を用いて全身への循環を確保した上で、心臓を停止させて行われます。止めたままの心臓は冷却し保護液を時々送ることで、数時間の手術に耐えて拍動を再開するのです。冷却といっても、心臓を氷漬けにしたのでは心筋が凍傷にかかる心配があるため、一般にリンゲル液をシャーベット状にしたもので心臓の回りを冷やし、凍て付かないように守っているのです。シャーベットは過冷却反応によるものですが、冬の山中では雨氷(うひょう)という珍現象としてみられ、人工降雨などもこの現象を応用したものです。また、遠洋で釣り上げた大きなマグロは、船上で-50℃以下に瞬間冷凍保存され、細胞を痛めることなく新鮮なトロに解凍されて食卓に上るなど、ここでも過冷却の理論が応用されています。42図1.jpg

過冷却によるシャーベット
 液体が凝固しないで凝固点より低い温度まで冷却された状態を過冷却といいます。液体を静かに保ちゆっくり冷却することで得られますが、過冷却された液体は不安定で外部からの衝撃やその物質の固体片を投入すると急に凝固しはじめます。例えば、水を徐々に冷却すると0℃以下、時には-10℃になっても凝固しませんが、振動を与えたり氷片を入れたりすると一気に固体化してシャーベット状になります。日本酒やビールをシャーベット状にして飲む「みぞれ酒」や「フローズンビール」も過冷却現象を応用したものです。ゆっくりと振動を与えないで冷やすと-15℃程度まで液体状態を保ち、これをグラスに注ぐと振動で固形化してシャーベット状になるというものです(図1)。
   飛行機雲も上空の温度が低温で大気が過冷却となっているところに排気ガスの成分が核となり、かき回されて過冷却の水蒸気が一瞬で結晶化して発生すると考えられています。そこで過冷却水滴から成る雲の中に飛行機でドライアイスを散布したり、地上からヨウ化銀の煙を上昇させたりして、氷晶核を増大させて雨として降らせるのが人工降雨の原理です(図2)。
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地上が凍てつく雨氷
 雨や雪、それに雹(ひょう)や霰(あられ)、霙(みぞれ)などはありふれた降水現象ですが、希有な現象の一つに雨氷(うひょう)があります。過冷却された液状のままで降ってきた雨滴が、地上の物に触れた途端に次々と氷結する現象です。この雨氷が数時間続くと、路面や電線それに樹木はことごとく透明な氷で幾重にも覆われてしまいます。水晶に包まれたようで景観は素晴らしいのですが、路面の急激な凍結で車のスリップ事故が多発し、電線の垂れ下がり被害も甚大となり、樹木の太い枝でも付着した雨氷の重みに耐え切れずに折れてしまいます。航空機や漁船への雨氷が着氷となって、運行不能などの大きな被害の出ることもあるようです(図3)。 
 物理学者・寺田寅彦の随筆の「雨氷」には、「空の上層の雨滴が下層の寒気にあって氷点下に過冷却され、しかも空中では物に当たって凝結する機縁も得ないために液状のままで落下し、地上ではじめて物体に触れると同時に氷結したものが雨氷である」とあります。
 国内での雨氷の発生は10年に一度ほどの希な現象とされていますが、2010年2月14日前後数日にわたってクリニックのある海抜千メートル余の山中湖近辺でこの珍現象を体験しました。車に乗り込もうとしたのですが、車全体が透明な氷で覆われドアーも密閉されて簡単には開けられず、路面もツルツルで四輪駆動にスノータイヤでもスリップするほどでした。道路沿いの樹木の枝はことごとく雨氷に覆われ、クリスタルのように透き通っていて綺麗でしたが、太い枝は重みに耐えきれずに所々で折れて無残な姿となり、電線の大きな撓みも心配なほどでした(図4)。
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凍てつく心臓の保護
 開心術では全身から脱血した静脈血を人工肺で酸素化して体に送り返し始めたところで、高濃度のカリウムを含んだ心停止液を冠動脈に注入して心拍を停止させ、心臓内操作に移ります。ここで、心臓の冷却を始めるのですが、これには氷片ではなく過冷却したリンゲル液を用います。静かに過冷却させたボトルから受け皿の金属ボールに静かに注いだ後に、縁にガツンと一撃を加えるとその衝撃で一瞬にシャーベット状に変化するのです。氷片を用いると、なかなか溶けないのは強みとしても、心臓に直接接触することで凍てついて凍傷にかかる心配があるのです。シャーベット状であれば心臓の外周を隈なく冷やすことができます。
 最後に、大動脈遮断を解除して加温した血液を冠動脈に流すことで心臓は薔薇色にもどって拍動を再開します。このように、止めておいた心臓も回りを冷却することと、心筋保護液を時々注入することで、4時間ほどの体外循環であれば、元気に拍動を再開し、ほぼ完全な心機能の回復が得られるのです。



食物の冷凍保存
 食べ物を-18℃より低い温度にすると何年間も冷凍保存できますが、これまでの冷凍技術には弱点があり、一度冷凍したものは作りたての食べ物に比べて余り美味しくありませんでした。その最大の理由は、冷凍すると食べ物の中で氷の結晶が大きくなり、細胞を壊してしまうからでした。新しく開発された急速冷凍法では、食べ物の中の水分が凍り始めると、約-1℃から-5℃の間で氷の結晶がどんどん成長していくのが問題でした。この温度帯を30分以内で通過させれば氷の結晶はそれほど大きくならず、したがって細胞の壊れることもありません。
 日本では1960年頃から急速冷凍技術がマグロ船上で実用化されだし、釣り上げてその場で-50℃以下で低温保存することで美味しく長持ちするようになりました。普通の冷凍法では表面から奥に向かって凍っていきますが、瞬間冷凍では表面も中身も同時に凍るので細胞の破壊はほとんど起こりません。さらに食べ物を反転をくりかえす磁場の中におき、振動させながら急速冷凍させることで細胞を生かす技術も開発されました。
この急速冷凍法では過冷却状態から一気に凍るときの様に表面も中心部もほぼ同時に凍り、氷の結晶が大きく成長しないので細胞はほとんど壊れません。そのため、美味しさや香りや食感が損なわれないのです。急速冷凍のメカニズムはまだ十分に解明されていませんが、移植用臓器の冷凍保存など医療への応用も検討されています(図5)。
 この急速冷凍法では過冷却状態から一気に凍るときの様に表面も中心部もほぼ同時に凍り、氷の結晶が大きく成長しないので細胞はほとんど壊れません。そのため、美味しさや香りや食感が損なわれないのです。急速冷凍のメカニズムはまだ十分に解明されていませんが、移植用臓器の冷凍保存など医療への応用も検討されています(図5)。
 この急速冷凍法では過冷却状態から一気に凍るときの様に表面も中心部もほぼ同時に凍り、氷の結晶が大きく成長しないので細胞はほとんど壊れません。そのため、美味しさや香りや食感が損なわれないのです。急速冷凍のメカニズムはまだ十分に解明されていませんが、移植用臓器の冷凍保存など医療への応用も検討されています(図5)。
  

 この急速冷凍法では過冷却状態から一気に凍るときの様に表面も中心部もほぼ同時に凍り、氷の結晶が大きく成長しないので細胞はほとんど壊れません。そのため、美味しさや香りや食感が損なわれないのです。急速冷凍のメカニズムはまだ十分に解明されていませんが、移植用臓器の冷凍保存など医療への応用も検討されています(図5)。
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飛行機雲も上空の温度が低温で大気が過冷却となっているところに排気ガスの成分が核となり、かき回されて過冷却の水蒸気が一瞬で結晶化して発生すると考えられています。そこで過冷却水滴から成る雲の中に飛行機でドライアイスを散布したり、地上からヨウ化銀の煙を上昇させたりして、氷晶核を増大させて雨として降らせるのが人工降雨の原理です(図2)。
  
 

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