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アゴラ的広場

「心臓」創刊号(第1巻第1号,1969年)巻頭言より掲載
前川 孫二郎 京都大学名誉教授

 アゴラとは,古代ギリシャ都市の,行政や商業の中心地で,市民の集会の広場であったと言われる.アテネにもこのアゴラの遺跡が,アクロポリスの真北の山麓にある.この夏,イスラエルでのアジア・太平洋心臓学会(Ⅳ)に出席したついでに,わたしもアテネに立ち寄って,このアゴラの遺跡をみた.アクロポリスの山裾に,もやのうちに静かに横たわっていた.そして,わたしは無意識のうちにそこにソクラテスと彼の周辺に集まる市民の姿を心にえがいていた.ソクラテスはこのアゴラにきて市民と対話することで彼の,いや市民の哲学を設立したといわれる.

 ところで,このアゴラが本稿の表題に選ばれたのは何故か.それはこのアゴラでソクラテスが「ソフィストのように,弁論という一方向的の独語(monologos)の形式で,既成の真理をふりまわし,相手かたを説得することにすべてをかけるのではなくて,対話(dialogos)の形式で,相手かたの議論を逐一吟味し,その中に含まれる矛盾や行き詰りを自覚させ,そして正しい道にそって自分で真理を発見させる」(藤井)ように導いたといわれる.そしてこのソクラテスの真理探求における対話法こそ,今日の一方通行的なマス・コミ時代に切に望まれる情報交換の形式であり,したがってそれに場所を与えるアゴラ的広場が必要になるのである.そこでわたしはこのようなアゴラ的広場を斯界のために期待したいのである.日循誌でも,すでにこの春,理事会の議を経て,このようなアゴラ的広場を「サロン」の名で企画した.しかし,日循誌は元来学会の機関誌であり,原著発表の場である.「サロン」は畢境アゴラ的コーナーにすぎないであろう.

 これに反して,本誌は専門雑誌ではあるけれども,かた苦しいフォーマルな原著論文はとりあげない.与えられたテーマに対してではなく,自分のテーマで,依頼された機会にではなく,自ら欲したときに演舌口調ではなく,簡明に自分の言葉で,学位論文としてではなく,同好の志の批判を求めて,話しかけるのである.テーマは臨床に限るといわれているが,これは臨床を中心としてという意味であろう.臨床だけでは往々充分な検証を欠くおそれがある.時のテーマであれば,活発な反響があろう.しかし,孤独なテーマでも本質に迫るものであれば,いつかは同好の志を得るであろう.それにはまずデータが示される必要がある.そしてそのデータが正確か否か,すなわち方法と,方法に使われた測定器,さらにその際の条件などが吟味されなければならない.ここでは,権威やビューロクラシーを闊歩せしめてはならない.すべては真実のために吟味されなければならないのである.

 しかし,アゴラは単なる陳列場ではない.データがいくら陳列され,集積されても,それが正しくとりあげられ,正確に総合されなければ,実在に近づくことはできない.正確なデータと正確な推理,そして,うるわしい協調こそアゴラの真髄である.アゴラは思考の訓練場であり,同時にデータの錬金所でもある.今日のマス・コミ時代は,医学雑誌において一般と専門とをとわず,むしろ氾濫の傾向にあるが,なおかつここに《心臓》が発刊されるとすれば,それ相当の存在理由をもつことが必要と思われる.だとすれば,現在のマス・コミの最大欠陥である一方通行を,アゴラ的な対話による情報交換に是正して,あるいは少なくともその可能性のために努力してもらいたいものである.もちろん,科学は非情,客観的でなければならない.しかし,それを創造し,それを利用するものは人間である.したがって思考の訓練は不可欠の条件となるのである.

 しかし,この際注意すべきことは,科学,とくに自然科学は実証の学問であって,いたずらに抽象に走り,議論のための議論や形而上学に走れないことである.そのためにこのアゴラの周辺に精密な実験所と,そして実験所をバックアップする豊かな経済力とが必要となる.不幸にして,当分これらの要素は望めそうにもないが,せめて現存するこれら二つの要素が,有効,かつ合理的に運営されることが望ましい.また,そのために本誌がアゴラ的役目を果たして欲しいものである.

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