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耳寄りな心臓の話

耳寄りな心臓の話(第50話)『心臓に電気を通す』

『心臓に電気を通す  


川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)



 筋肉に通電すると収縮することを発見したのは偶然からでしたが、この18世紀末の研究が生体電気現象の幕開けとなりました。この風潮に合わせて、怪奇小説「フランケンシュタイン」が発表されました。その100年後、心臓からの僅かな電気信号をとらえる心電計が開発され、さらに50年後に心臓ペースメーカー植込み術が行われたのです。
 
幻の『生命電気』発見50図1.jpg
  イタリアの解剖学者・ガルバーニは18世紀末に、テーブルの上に置いた解剖したばかりのカエルの脚が風に揺れるたびに痙攣して開脚するのを目にしました。彼はこの観察から、動物の細胞は「生命電気」を発生させ、これが神経を流れて生命維持のエネルギーを供給していると考えたのです。ここで生じたガルバーニ電気の理論は「ガルバニズム」と呼ばれて、当時は数々の生命現象の説明に用いられました(図1)。さらに、ガルバーニの甥で物理学者・アルディーニが、牛の死体や罪人の死体に電気を通すことで手足を動かしたり目を開けたりするグロテスクな公開実験をローマのほかにパリ、ロンドンなどでも行ったところ、「失われた生命が電気によって蘇えり、これで生命の神秘が明らかになった」と当時の新聞は大々的に報じたのです(図2)
50図2.jpg  ところが、さらにもう一人のイタリアの物理学者・ボルタは亜鉛と銅を希硫酸に浸すことで世界で初めて実用的なボルタ電池を発明し、カエルの脚が動いたのは真鍮製のフックと鉄柵という二種類の金属間の電位差によって発生した弱い電流によるものとし、ガルバーニの細胞から発生するという「電気生命」説を否定しました。
  今日でもボルタは電量計のボルタ・メーターあるいは電圧の単位のボルト(V)として、ガルバーニの方は微弱な電流・電圧を検出・測定するガルバノメーター(検流計)に名前をとどめています。因に、金歯などを入れた後に起こる歯が「しみる」のは、唾液の中で金歯の合金であるアマルガムとパラジウムの金属間に起こった僅かな電流によるものとの考えから、歯科では「口腔ガルバニズム」現象と呼ばれています。間違ってアルミ箔などを齧かじると、変で嫌な刺激が口腔内を走るのも同じ原理なのでしょう。
 
生命を点火された大男50図3.jpg
  19世紀初頭に一世を風靡した「ガルバニズム」に触発されたのがイギリスの詩人シェリーの夫人メアリーで、怪奇小説『フランケンシュタイン・現代のプロメテウス』を長雨に閉じ込められたスイスのホテルで一気に書き上げました。ギリシャ神話のプロメテウス神は大地の泥と水から人間を創造したとされていますが、その現代版というタイトルです。
  小説では、医学校を出たばかりのビクター・フランケンシュタインが生命の神秘に取り憑かれ、墓地から掘り起こした数体の遺体をつなぎ合わせて創った大男に「生命の火花」を点火すると、目を開き、深く呼吸し、手足を痙攣させたと描かれています。この醜男(ぶおとこ)誕生の鍵を握る「生命の火花」こそが、当時流布されたガルバニズムによるものでした(図3)
  人に愛されることを夢見て人造人間に生命を吹き込んだはずが、外見の醜さから人々に拒絶されて傷ついてしまい、人類に永遠の復讐を誓うというのが粗筋です。このように、フランケンシュタインは怪物の名前ではなく彼を創造した若い医学者の名前であり、ドイツやオーストリアではよくみかける姓名の一つなのです。
 
手押し車のペースメーカー
  最初の心臓ペースメーカー本体を開発したのは、アメリカの生理学者・ハイマンで、1932年のこととされています。しかし、6分毎に手動でクランク・ハンドルを回して直流電気を発生させて心臓に通電する緊急用のものでしたが、重さ7.2㎏と手押し車が必要なほどの大型の装置でした。心臓ペースメーカーを初めてアダムス・ストークス症候群の治療に応用したのはアメリカの心臓内科医・ゾルで、1952年、長年にわたる基礎研究の後でした。患者の胸の左右に張り付けた直径1インチの電極に最大150Vの電圧、2msec幅の電流を通電する方式でした。しかも緊急蘇生用のもので、通電のたびに心臓の周りの筋肉も痙攣して痛みが走り、火傷の原因にもなるなどの大変な苦痛を伴うものだったようです。しかし、1956 年開心術が行われるようになると、心臓の筋肉に直接電極を縫い付けて通電するペースメーカーが用いられるようになり、この方式では胸壁から通電する方法に比べて1/10程度の出力でよく、数Vの乾電池による刺激で有効なことが分かったのです。著者が心臓外科医になりたての昭和40(1965)年頃には、大学病院といえども除細動器はなく研究室で作成した交流式のものだけで、開心術後の心臓ペーシングも1.5Vの乾電池を直列にした固定レートのペースメーカーでした。
 
世界初の植込み手術
  植込み型のペースメーカーについては、スウェーデンの内科医で医用工学者のエルムクビストが心臓外科医であるセニングと共同で進めていました。セニングといえば大血管転位症に対する心房内血流転換術を開発するなど世界的に高名な外科医の一人です。程なく、彼等は靴墨の空き缶に満たしたエポキシ樹脂の中に組み立てた回路を沈めて固め、体内に植込める小さな心臓ペースメーカーの開発に成功したのです(図4)
  記録によれば、1958年10月8 日に、完全房室ブロックのために失神発作を一日に数十回も繰り返して生死の境をさまよっていらラルソンという43歳の男性の胸を開けて心臓に電極を縫い付けたのです。初回は外からの充電式でしたが後に水銀電池式に交換し、ラルソンは再びエンジニアとして社会復帰しました。2001 年に86歳に皮膚ガンで亡くなるまでに、実に40年以上にわたって計26個ものペースメーカー本体を使用し、しかも心臓の機能は全く正常だったということです。同じ1958年、アメリカのファーマンらによってカテーテル電極法が開発され、開胸することなく局所麻酔での植込みが可能になったのです。続いて、アメリカのシャルダック、ゾル、カントロビッツ、日本では須磨らが相次いで植込み型ペースメーカーを作成し臨床応用しました。最初は固定レートであり、水銀電池も2年毎に交換が必要でしたが、リチウム電池の開発で電池寿命が4倍ほども長くなり、刺激方法もディマンド型、レスポンス型へと進化しました(図5)。今日では、両心室ペーシングや植え込み型徐細動器も登場して、国内だけでも毎年2万人の方が新たに心臓ペースメーカーの植込み術を受けているのが現状です。 50図4と5.jpg

 

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