日本心臓財団刊行物

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耳寄りな心臓の話(66話)『揺らぎなき末期の心臓』



『揺らぎなき末期の心臓

川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)



物に動じない強靭な心臓という意味では、「揺るぎなき心臓」と表現しますが、今回は「揺らぎ」という物理現象が小川のせせらぎや岸辺のそよ風に見られるほか、我々の心拍動にも認められ、しかも「揺らぎ」の多い心臓の方が健常で、重症心不全や末期(まつご)の心臓になると「揺らぎ」が認められなくなるという話です。
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自然界の揺らぎ
 「ゆらぎ(揺らぎ)」とは統計的平均からのずれのことで、大まかには一定に見えても細かくみますと平均値前後で微妙に変動している現象をいいます。自然界の現象には変動の大きさ(P) が大きくなると振動数(f)が小さくなるなど互いに反比例して揺らいでいることがしばしば観察され、この反比例の法則性をもった動きが「1/f(エフ分のいち)ゆらぎ」と呼ばれる現象です。
 自然界での揺らぎ現象とくに「1/fゆらぎ」については、浅い瀬を流れる小川のせせらぎや木々の間を吹き抜けるそよ風、それにひたひたと岸に打ち寄せる波の音にもみられ、私達がこれらの自然現象を心地好いと感じるのは強くなったり弱くなったりと微妙に変化する揺らぎがあるからなのです(図1)。
 心拍動も規則的に動いているように見えますが、良く観察すると拍動間隔は細かく変動しています。心拍動をはじめとした生体の揺らぎ現象は内部状態を観察するのに役立ち、心臓に限っても拍動間隔を心電図のR波間隔(R−R)で計測する方法のほかに血圧波形の連続記録を利用する方法、神経の活動電位を記録する方法、超音波を用いる方法などが考案されています。
心拍動の揺らぎ
 我々の心臓は一日に10万回以上も拍動しているのですが、通常の心電図検査ではほんの数分間しか記録しませんので、束の間の変動しか見ることができません。しかし、ハートモニターやホルター心電計の開発で心拍の長時間記録が可能となり、24時間以上もの変動を分析することができるようになりました。さらに、腕や指につけるだけの簡便な心拍計も開発されて、日常の拍動間隔の「1/fゆらぎ」現象の解析も進みました。軽い心不全例での一日の心拍の拍動間隔を集計してみますと、650m秒を中心に350から1500m秒の間で変動していることがわかります(図2)。
 これら心臓の拍動間隔のほか海の波や風に揺れる枝など自然界の「1/fゆらぎ」現象を確認するには、一見不規則にみえる振幅時間波形をフーリエ変換を行う、すなわち振幅毎の幾つかの曲線に置き換える周波数解析を行うことで、1/f関数の形でのスペクトル分析結果が得られるのです(図3)。
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66図4.jpg 泣く子も黙る揺らぎ
 母親の子宮内で成長する胎児の観察には胎児心音や心電図のほか超音波ドプラー信号がよく用いられます。胎児で用いられる心拍数計の特徴は15秒とか1 分間の計測ではなく、一拍動間隔の積算による瞬時心拍数が表示され、1拍ごとの変化分の連なりとして得られた心拍数変動から診断情報を抽出します。この瞬時心拍数計は出産時に起こることのある胎児の低酸素症の診断に役立つなど、胎児状態を把握する機器としての価値が大きいのです。これらの計器で得られたデータ分析から、胎児心拍にも「1/fゆらぎ」のあることが観察されています。正常な胎児の心拍動間隔は微妙に揺らいでいるものの、母体が妊娠高血圧症候群(もと妊娠中毒症)にかかると子宮や胎盤を流れる血液量が減少して胎盤の働きが悪くなり胎児の発育に影響を及ぼすため分娩監視装置による連続監視が行われます。母体の中毒症状が進むに連れて、胎児の心音や拍動間隔の揺らぎがなくなるというのです。ところが、治療によって母親の症状が回復すると、胎児の拍動間隔の揺らぎも大きく活発になることが見出されています。
 一般に、体内の"赤ちゃんの元気のよさ"を判定する検査の一つとして、ノンストレステストと呼ばれる胎児心拍数モニタリングが行われ、子宮収縮による負荷のない状態(ノンストレス) で胎児が示す瞬時心拍数と陣痛の強さが連続して記録されます。
 赤ちゃんが泣きやまない時に母親の胸に赤ちゃんの耳を当てて心臓の鼓動を聞かせると泣き止むのは、胎内で聞き覚えのある母親の鼓動の持つ「1/fゆらぎ」によって心が安らかになるからという見方もあります(図4)。

66図5.jpg クラシック音楽の揺らぎ
 音楽も「1/fゆらぎ」をもっていて、音の高低を決める周波数の揺らぎと音の強弱を決める振幅の揺らぎがあります。周波数の揺らぎには一定の相関があるため、音楽を聞いている人は無意識のうちに次の音を予測してしまうものです
が、その予測した音とあまりにもかけ離れていたり反対にあまりにも予想通りだったりした場合に、ストレスや退屈を感じてしまうというのです。いろいろな楽器による音の減衰もまさしく「1/fゆらぎ」であり、それらの楽器の演奏で構成されるクラシック音楽にリラックス効果が高いとされているのは、そのほとんどが「1/fゆらぎ」を持っているからと考えられます。さらには、酪農場で放牧している牛に向けてクラシック音楽の曲を流すと、曲の種類によって牛乳のとれる量が異なるといった面白い報告もあります。
 一般的な扇風機から送られてくる風は、ゆらぎのない連続風ですが、自然に近い「ゆらぐ風」、自然の心地好さを科学して生まれた風として不規則な強弱のリズムのある「1/ fゆらぎ」を再現した扇風機も商品化されています(図5)。
揺らぎの珍事
 各分野で人類に対して最大の貢献をした者に授与されるノーベル賞に対し、パロディとして各分野で人を笑わせる愉快な国際的な研究に贈られるイグ・ノーベル賞があります。ほぼ毎年日本人学者が選ばれ、名門のハーバード大学で厳かに賑やかに行われる授賞式には本物のノーベル賞受賞者も多数参加して話題になります。
 マウスの心臓移植実験でオペラの「椿姫」を流しながらのグループの方が、人気の歌謡曲を聞かせながらのグループの倍以上も生存したというユニークな研究で、後輩の杏林大外科・新見准教授らが一昨年のイグ・ノーベル医学賞を受賞しました。この珍事も、クラシック音楽が示すことのある「1/fゆらぎ」効果を発揮しての快挙だったのかもしれません(図6)。

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