日本心臓財団HOME > 日本心臓財団の活動 > 一般刊行物 > 耳寄りな心臓の話 > 耳寄りな心臓の話(第55話)『外科医の心得-鬼手仏心』

日本心臓財団刊行物

耳寄りな心臓の話

耳寄りな心臓の話(第55話)『外科医の心得-鬼手仏心』

『外科医の心得-鬼手仏心  

川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)

 
 内科本道、外科外道と軽視されることのある一方で、メスを用いて国を医(い)する国手(こくしゅ)と敬称されることもある外科医の心得の一つに『鬼手仏心』があります。医学界に限って通用する言葉と思っていましたが、小渕元首相が政権担当の決意表明で「鬼手仏心を信条として」と吐露されたこともあって、広く一般に知られる四字熟語となりました。外科医になってすぐに目にした言葉で、多少疑心暗鬼なところもありますが心得も仏心も心臓絡みということで、ぞろ目で切りの良い「耳寄りな心臓の話」第55話とさせていただきます。55図1.jpg
 
日の目を見た四字熟語
  『鬼手仏心』については我々の外科学教室の初代教授がよく用いていたこともあり、教室員にはしばしば目にする言葉でした。メスを持つ外科医の手は鬼のようで惨(むご)いように見えるが、病気を治すのだという慈悲心に満ちたものであるという意味と聞かされました。外科医を志してすぐに座右の銘とし、指導する立場になってからも教室員だけでなく一般の方に向けても機会あるごとに用いていました。
 出典が気になりましたが、当時の「広辞苑(第4版)」にはなく、中国の書籍や仏教用語を調べても見当たりませんでした。しかし、平成7年第1版発行の「大辞泉」には収載され、平成10年に小渕恵三氏が自民総裁選に当たり「鬼手仏心を信条として大改革に臨む」との政権担当に向けた決意を述べられたことで、広く国民一般にも注目される言葉になったようです(図1)。
 丁度この頃改訂された「広辞苑(第5版)」から『鬼手仏心』が収載され、「外科手術は体を切り開き鬼のように残酷に見えるが、患者を救いたい仏のような慈悲心に基づいているということ」とされました。狭い医療界だけで用いられてきた「鬼手仏心」も、ここに至って広く用いられるようになり日の目を見たことになります。
  医師と患者との関係では、病状や治療法について納得の行くまで説明した後に治療を始めるというインフォームド・コンセントが大切とされていますが、『鬼手仏心』からは「民は之に由(よ)らしむべし、知らしむべからず」という古い一方的なお任せムードへ逆行する恐れもなきにしも非ずですが、大事に当たってはこのような心得も時には必要ということなのでしょう。
 
女仙人・麻姑の手55図2と3.jpg
 福沢諭吉から初代の医学部長・北里芝三郎に贈られた「贈醫」という七言絶句が、慶大医学部の第一会議室に飾られています。灯台下暗しというか、医師に向けた大変な檄が目の前にぶら下がっていたのに、その意味を知ったのは相当後になってからでした。ある日の教授会で配付された資料に、「『医に贈る』 無限の輸贏(しゅえい)天また人 医師いうをやめよ自然の臣なりと 離婁(りろう)の明視と麻姑(まこ)の手と 手段の達するの邊ただこれ眞なり」とあり、「(医学は)自然と人間との限りない勝負である。医師よ、『自然(の回復)を助ける立場にある』などと言わないでもらいたい。離婁のような眼力と麻姑のような手によって、あらゆる手段をつくすことこそ(医学の)真髄なのだ」と注釈が付けられていたのです(図2)
 離婁は伝説上の達人で、百歩離れたところからでも毛の先まで見ることができたと伝えられ、孟子が引用した「離婁の明も睫上(しょうじょう)の塵を視みる能(あた)わず」は「いくら目のよい人でも、まつ毛の上の埃を見ることができない」と解釈されています。一方の麻姑も若い女仙人で手の爪が鳥のように長く伸び、「麻姑を倩(こ)うて痒きを掻く」などと痒いところを掻いてもらえば愉快この上ないとだれもが思うほどだったといわれています(図3)
 因みに、背中を掻くのに都合のよい竹製などの「孫の手」がありますが、はじめ「麻姑の手」だったものが濁って誤用されたものといわれています。一般には、手をかたどったシンプルな孫の手が用いられており、今流行のネイルペインティングなどの長い付け爪の方が「麻姑の手」に近いのかも知れませんが、現代っ子では痒いところに手が届くかどうかは疑問です(図4)。しかし、本場の中国・瀋陽で求めた孫の手は紫壇製で、いかにも麻姑の手を彷彿とさせる美しい仕上がりでした(図5)55図4と5.jpg さて、緒方洪庵の適塾に学んだ福沢諭吉には、医学について先見の明のあったことが随所に見られます。明治16年に著した「医学の進歩」の中でも、西洋の古語では医は自然の臣僕(しんぼく)なりといっているが、窮理学(きゅうりがく・西洋物理学の意)も進歩したことだし医師は病気が自然に治るのを助けるだけなどと言わないで、肛門から直腸に指を入れて腹部内臓の状況を探り、胃袋や膀胱に小さな鏡や望遠鏡を入れて覗くと病気が直接手に取るように見えるだろうと今日の直腸診や内視鏡検査などを予言していたのです。

鬼手から淑女の手へ
 とりわけキリスト教を背景にした西洋医学では、神のもと自然の治癒力に期待する医療が一般的でした。とくに理髪外科医を経て従軍外科医として数々の銃創の手当法を編み出したフランスのアンブロワーズ・パレはアンリ2世からアンリ3世までの4代の侍医を務め、近代外科学の父とされますが、「私が処置し、神が癒したもう」と自然治癒こそが医師の信条であるとしました(図5)
55図6.jpg しかし、漢方医学からやっと脱却しつつあった日本の医学界に向けて、『医師よ、自然(の回復)を助ける立場にある』などと言わないで積極的に治療しなさいという福沢諭吉の言葉は、パレに比べれば現代に近い明治時代であったにしても、すこぶる斬新な考えの檄だったと思われます。
 同じ頃イギリスのL.ライトは、“In a good surgeon, hawk's eye, lion's heart, and lady's hand”(優秀な外科医には、鷹のような眼、ライオンのような心臓、それに淑女のような手が備わっている)と言っています。外科医には鋭敏に見分ける鷹の眼、勇猛で豪胆なライオンの心臓、そして繊細な淑女の手が必要といっているのです。
  先の「鬼手仏心」も、このような西洋の心得を東洋風に練り直したものだったのかも知れません。試みに「鬼手仏心」を横文字にしてみると、“A good surgeon must have Demon's hands and a Buddha's heart”とでもなりましょうか。最近では「鬼の手」ならぬ「神の手」を持つスーパードクターともて囃される外科医も登場しているようですが、心臓や血管の手術手技がいかに進歩したといっても複雑な疾患に対する外科手術には限界があります。奢ることなく誠実に注意深く手術に取り組む姿勢が大事であることは言うまでもありませ
ん。医は仁術(にんじゅつ)とも言われてきましたが、すべての外科医は誇りを持って、国を医する名手、国手と呼ばれるように精進したいものです(図6) 
 内科本道、外科外道と軽視されることのある一方で、メスを用いて国を医(い)する国手(こくしゅ)と敬称されることもある外科医の心得の一つに『鬼手仏心』があります。医学界に限って通用する言葉と思っていましたが、小渕元首相が政権担当の決意表明で「鬼手仏心を信条として」と吐露されたこともあって、広く一般に知られる四字熟語となりました。外科医になってすぐに目にした言葉で、多少疑心暗鬼なところもありますが心得も仏心も心臓絡みということで、ぞろ目で切りの良い「耳寄りな心臓の話」第55話とさせていただきます。
 
日の目を見た四字熟語
  『鬼手仏心』については我々の外科学教室の初代教授がよく用いていたこともあり、教室員にはしばしば目にする言葉でした。メスを持つ外科医の手は鬼のようで惨(むご)いように見えるが、病気を治すのだという慈悲心に満ちたものであるという意味と聞かされました。外科医を志してすぐに座右の銘とし、指導する立場になってからも教室員だけでなく一般の方に向けても機会あるごとに用いていました。
  出典が気になりましたが、当時の「広辞苑(第4版)」にはなく、中国の書籍や仏教用語を調べても見当たりませんでした。しかし、平成7年第1版発行の「大辞泉」には収載され、平成10年に小渕恵三氏が自民総裁選に当たり「鬼手仏心を信条として大改革に臨む」との政権担当に向けた決意を述べられたことで、広く国民一般にも注目される言葉になったようです(図1)。
 
図1.鬼手仏心
メスをもつ手は厳つい鬼のようであっても、胸には仏心、慈悲心を満たしていると。
 
 丁度この頃改訂された「広辞苑(第5版)」から『鬼手仏心』が収載され、「外科手術は体を切り開き鬼のように残酷に見えるが、患者を救いたい仏のような慈悲心に基づいているということ」とされました。狭い医療界だけで用いられてきた「鬼手仏心」も、ここに至って広く用いられるようになり日の目を見たことになります。
  医師と患者との関係では、病状や治療法について納得の行くまで説明した後に治療を始めるというインフォームド・コンセントが大切とされていますが、『鬼手仏心』からは「民は之に由(よ)らしむべし、知らしむべからず」という古い一方的なお任せムードへ逆行する恐れもなきにしも非ずですが、大事に当たってはこのような心得も時には必要ということなのでしょう。
 
 女仙人・麻姑の手

  福沢諭吉から初代の医学部長・北里芝三郎に贈られた「贈醫」という七言絶句が、慶大医学部の第一会議室に飾られています。灯台下暗しというか、医師に向けた大変な檄が目の前にぶら下がっていたのに、その意味を知ったのは相当後になってからでした。ある日の教授会で配付された資料に、「『医に贈る』 無限の輸贏(しゅえい)天また人 医師いうをやめよ自然の臣なりと離婁(りろう)の明視と麻姑(まこ)の手と 手段の達するの邊ただこれ眞なり」とあり、「(医学は)自然と人間との限りない勝負である。医師よ、『自然(の回復)を助ける立場にある』などと言わないでもらいたい。離婁のような眼力と麻姑のような手によって、あらゆる手段をつくすことこそ(医学の)真髄なのだ」と注釈が付けられていたのです(図2)
 
 
図2.七言絶句「贈醫」
適塾に学んだ福沢諭吉から慶大初代医学部長・北里柴三郎に贈られた七言絶句の掛け軸。
 
 離婁は伝説上の達人で、百歩離れたところからでも毛の先まで見ることができたと伝えられ、孟子が引用した「離婁の明も睫上(しょうじょう)の塵を視みる能(あた)わず」は「いくら目のよい人でも、まつ毛の上の埃を見ることができない」と解釈されています。一方の麻姑も若い女仙人で手の爪が鳥のように長く伸び、「麻姑を倩(こ)うて痒きを掻く」などと痒いところを掻いてもらえば愉快この上ないとだれもが思うほどだったといわれています(図3)
  因みに、背中を掻くのに都合のよい竹製などの「孫の手」がありますが、はじめ「麻姑の手」だったものが濁って誤用されたものといわれています。一般には、手のかたどったシンプルな孫の手が用いられており、今流行のネイルペインティングなどの長い付け爪の方が「麻姑の手」に近いのかも知れませんが、現代っ子では痒いところに手が届くかどうかは疑問です(図4)。しかし、本場の中国・瀋陽で求めた孫の手は紫壇製で、いかにも麻姑の手を彷彿とさせる美しい仕上がりでした(図5)
  さて、緒方洪庵の適塾に学んだ福沢諭吉には、医学について先見の明のあったことが随所に見られます。明治16年に著した「医学の進歩」の中でも、西洋の古語では医は自然の臣僕(しんぼく)なりといっているが、窮理学(きゅうりがく・西洋物理学の意)も進歩したことだし医師は病気が自然に治るのを助けるだけなどと言わないで、肛門から直腸に指を入れて腹部内臓の状況を探り、胃袋や膀胱に小さな鏡や望遠鏡を入れて覗くと病気が直接手に取るように見えるだろうと今日の直腸診や内視鏡検査などを予言していたのです。
 
図3.女仙人・麻姑
誰もが痒いところを掻いて欲しいと願うほどの長くしなやかな指先をしていたという女仙人。(wikipediaより)
 
図4.現代の麻姑たち
ネイルペインティングされた長い付け爪こそ、現代の麻姑の手であろうか。
 
鬼手から淑女の手へ
  とりわけキリスト教を背景にした西洋医学では、神のもと自然の治癒力に期待する医療が一般的でした。とくに理髪外科医を経て従軍外科医として数々の銃創の手当法を編み出したフランスのアンブロワーズ・パレはアンリ2世からアンリ3世までの4代の侍医を務め、近代外科学の父とされますが、「私が処置し、神が癒したもう」と自然治癒こそが医師の信条であるとしました(図5)
  しかし、漢方医学からやっと脱却しつつあった日本の医学界に向けて、『医師よ、自然(の回復)を助ける立場にある』などと言わないで積極的に治療しなさいという福沢諭吉の言葉は、パレに比べれば現代に近い明治時代であったにしても、すこぶる斬新な考えの檄だったと思われます。
  同じ頃イギリスのL.ライトは、“In a good surgeon, hawk's eye. lion's heart, and lady's hand”(優秀な外科医には、鷹のような眼、ライオンのような心臓、それに淑女のような手が備わっている)と言っています。外科医には鋭敏に見分ける鷹の眼、勇猛で豪胆なライオンの心臓、そして繊細な淑女の手が必要といっているのです。
  先の「鬼手仏心」も、このような西洋の心得を東洋風に練り直したものだったのかも知れません。試みに「鬼手仏心」を横文字にしてみると、“A good surgeon must have Demon's hands and a Buddha's heart”とでもなりましょうか。最近では「鬼の手」ならぬ「神の手」を持つスーパードクターともて囃される外科医も登場しているようですが、心臓や血管の手術手技がいかに進歩したといっても複雑な疾患に対する外科手術には限界があります。奢ることなく誠実に注意深く手術に取り組む姿勢が大事であることは言うまでもありませ
ん。医は仁術(にんじゅつ)とも言われてきましたが、すべての外科医は誇りを持って、国を医する名手、国手と呼ばれるように精進したいものです(図6)。 
 

月刊心臓

ご寄付のお願い