日本心臓財団HOME > 日本心臓財団の活動 > 一般刊行物 > 耳寄りな心臓の話 > 耳寄りな心臓の話(第37話)『宇宙を飛んだ心電計』

日本心臓財団刊行物

耳寄りな心臓の話

耳寄りな心臓の話(第37話)『宇宙を飛んだ心電計』

『宇宙を飛んだ心電計』


 

川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)

  37図1新.jpg


 アメリカ初の宇宙飛行に成功したジョン・グレンさんが日本の心臓外科医でもある向井千秋・飛行士らとともに二度目の宇宙に飛び立ったのは1998年のことでした。この快挙に合わせて日本の宇宙開発事業団(NASDA)からの呼び掛けもあり、シャトルの打ち上げの行われるフロリダのケネディー宇宙基地まで出向いたものでした。7人の精鋭を乗せたスペースシャトル・ディスカバリー号は微小重力下での諸々の実験のほか自らを被験者にした連続心電図記録の解析など最先端テクノロジーとの共同作業という9日間の歴史的な研究を結実させて無事に帰還しました。



飛行中のバイタル記録
 1921年生れのジョン・グレンはメリーランド大卒後はテストパイロットとして米国海兵隊に入隊し、1957年大佐のときにロスアンジェルス・ニューヨーク間を3時間23分という超音速での世界初の無着陸飛行を達成しました。
37図2新.jpg この実力を買われてNASAの宇宙計画に参加し、旧ロシアのガガーリンに遅れること1 年の1962年にマーキュリー衛星船に一人で乗り込み地球軌道を3周してアメリカ初の宇宙飛行に成功したのです。飛行中のグレンさんの心臓の鼓動を記録したのは、その2年前に地上で心臓病患者に試みられていた長時間の連続記録が可能なホルター心電計を小型軽量化したものでした(図2)。

Godspeed, Again !
 訪れた10月末のマイアミの街路のあちこちに、顔写真とともに“Godspeed,Again!John Glenn” と染め抜かれた幟がはためいていました。はじめは「グッドスピード」の「程よいスピードで」と独り合点していたのですが、実は神の「ゴッドスピード」で「成功を祈ります!」の常套句であることを知り赤面の至りでした(図3)。 
 出発予定前日、ケネディー基地をバスで巡回中に最終調整中の向井飛行士らクルー一行と、感染予防のこともあって柵越しに短い言葉を交わすことができました。翌日、予定通りに発射されたディスカバリー号は、ブラウン船長以下7名を乗せて9日間で地球を134周し、微小重力環境下での老化の解明や睡眠障害の研究、ガマアンコウの耳石を用いた宇宙酔いの研究、植物の発芽や成長の基礎データなど多くの成果を得て帰還しました(図4)。37図2と3と4.jpg  スペースシャトルは地上550キロの軌道を約90分で一周するため、一日に16回もの昼と夜がやってきて体内時計が狂い睡眠障害を起こしやすいことから、一部で時差に有効な薬として注目されているメラトニンの効果を検証するため、偽薬のプラセボを用いる組との二組に分けて睡眠中も心電図、筋電図それに電気眼位図などの生体情報を連続測定し、服用翌日の気分や能力を測定するというものでした。
 心電図一つ取り上げても、グレンさんが36年前に密かに付けて乗り込んだテープレコーダー式のモニターに比べれば、小型軽量化されデジタル式に改良されたというものの、胸には何本もの電極を装着する必要があり、他の記録器もあわせると頭、胸、手足とそれこそスパゲッティ症候群さながらの配線で、偽物のプラセボを与えられたグループは薬の効果が期待できず寝た気がしなかったのではと思われます。
 その2ヶ月後に、ディスカバリー号搭乗の全員が日本に招かれ、筆者もNASDA主催の宇宙飛行士報告会に出席する機会を得て、出発前にケネディー基地で言葉を交わしたクルーを労い、めいめいからサインをいただくことができました(図5)。
 
開拓者のホルター一族

 このホルター心電図を開発したノーマン・ジェフ・ホルターも立志伝中の一人です。アメリカ海軍所属の物理学者で、1946年からのビキニー環礁での水爆実験の研究員として加わり、戦後も米国核エネルギー応用機構で仕事を続けました。さらに、アメリカ核医学会・会長もつとめ、1964年にはUCサン・ディエゴ校の教授となって地球物理学の研究のかたわら長時間心電図記録計の開発にも携わりました。ジェフ・ホルターは米国モンタナ州の開拓者として有名な祖父や父の下で育てられました。モンタナ州はもともとはシャイアンなどのインディアンの居住地だったのですが、1862年に金鉱が発見されたことで白人が集まるようになり工業化され、大農法も盛んとなったようです。州都のヘレナ市にはホルター美術館、ホルターダムそれにホルター湖など開発に貢献したホルター一族の名前を冠した歴史的建造物が数々見られます。
 ジェフ・ホルターも長時間記録のホルター心電計という画期的な発明に特許権を申請することなく、医療への貢献、人類の福祉のために捧げたのでした。
 ホルター心電図の研究を引き継いだデルマー・アビオニクス社が大型コンピューターを用いた高速自動解析方式に改良し、現在の小さな機器に至っています。初めはホルター研究所の庭で自転車に乗った被験者の心電図を記録したものでしたが、小型軽量化にともない落下中のパラシュート部隊(1968年)、エベレストの登山家、ホノルルマラソンランナー(1978年)、そして深海でのフリーダイビング(1991年)など人の活動中の記録に挑みました。
 
スペースシャトルの引退
 宇宙での飛行士の心電図変化については、ソ連のサリュート6号以来、アメリカのアポロ、スカイラブ、そしてシャトル時代それぞれに研究されてきましたが、軸偏位などの細かな変化からT波の平低化さらには期外収縮の出現が注目されています。無重力下での血圧変化と体液の移動などとともに、種々分析の行われているところです。
 旧ロシアのガガーリンに次いでアメリカのグレンが人類初の宇宙飛行に成功して今年で50年となり、日本も力を入れた長期滞在用の国際宇宙ステーションも完成して、その建設資材の運搬のために、それこそバドミントンのシャトルのように宇宙への往復を繰り返したのがスペースシャトルでした。日本からも7人の宇宙飛行士が延べ12回の飛行にかかわりましたが、2011年7月の135回目のフライトを最後にスペースシャトル5機は引退し、1981年以来30年の歴史に幕を閉じました。NASAは月や火星、小惑星など遠い宇宙への探査に主力を置くということです。今後しばらくはロシアの有人宇宙船ソユーズだけが頼りとなり、宇宙ステーションへの物資の運搬はアメリカの民間会社の無人宇宙船「ドラゴン」と「シグナス」が担当する予定です。
 
 

 

月刊心臓

ご寄付のお願い