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耳寄りな心臓の話

耳寄りな心臓の話(第35話)『心臓破りの胸突き八丁 』

『心臓破りの胸突き八丁 

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川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)

 

 何事も成就しようとする瀬戸際が大変です。ゴール近くには難関がつきもので、富士登山では八合目から上は「胸突き八丁」と呼ばれて、山頂まで息ができなくなるほどの急坂と険しい瓦礫の道が続きます。マラソンといえば、昔ギリシャの勇士が戦場のマラトンからアテネまでの約40キロを走りぬいて戦勝を報じた後に果てたという故事に因む競技ですが、毎年4月に行われる伝統のボストンマラソンにも、ゴール近くに「心臓破りの丘」があって、ここでのデッドヒートが数多くのドラマを生んでいます。


八合目の「胸突き八丁」35図1.jpg
 なだらかな裾の広がりを見せる霊峰富士も八合目あたりからは急峻な稜線が続き、登山では八合目から山頂までの八丁、約900メートルが正念場となります。急坂をゴツゴツとした険しい瓦礫の道が続き、いわゆる「胸突き八丁」と呼ばれて胸を打たれるような息もつけないほどの大変な坂が待っているのです。
 「胸突き八丁」という言葉は初め富士登山だけに用いられていたものが、今では他の山でも頂上間近の険しい坂道をいうようになり、さらには物事を成し遂げる大詰めの時に「胸突き八丁」にさしかかったなどということがあります(図1)。
 富士登山は江戸時代から一般庶民にとっても人気だったようですが、臨時の大きな支出のためには皆でお金を出し合う「冨士講」があみだされ、「一度も登らぬバカ、二度登るバカ」という言葉もあったようです。手甲をした右手に金剛杖、左手に数珠をもち白衣姿で、「お山は晴天、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と麓の登山口からめいめい登山の安全を唱えながら登拝する姿が残されています(図2)。しかし、自動車道として五合目までの富士スバルラインが開通してからは車での往来も可能となり、気軽にハイヒールのままでも富士登山の雰囲気を体験できるなど益々身近な山になりつつあります。35図2(新).jpg35図3.jpg
 登山者も年々増えて、平成22年には八合目でのカウントで32万人にも達したといいますから、都心の通勤時のような混みようです。著者のクリニックも富士山麓の山中湖近くにありますので、若い職員の中には7月1日の山開きを待って毎夏富士登山を計画し、八月末の「富士吉田の火祭り」を合図に山を閉じる二か月の間に二度の登山する猛者(もさ)もいるほどです。麓ではこの間に、朝焼けに映える赤富士を眺めることができます(図3)。


 
 


心臓破りの丘35図4新.jpg

 ボストンマラソンは毎年4月のマチュセッツ州の祝祭日に行われ、郊外のホプキントンからボストン市内までの折り返し地点のない片道コースのマラソンです。下り坂が多く141メートルもの高低差のあることが特徴とされていますが、ゴール間際になって登り坂が続き、この辺りが「心臓破りの丘」と呼ばれているのです。
 一般にマラソンやサイクリングなど持久力を競う長丁場のスポーツでは肝臓や筋肉中のグリコーゲンの貯蔵が枯渇すると、急に疲労困憊して競技の続行が不能になります。このようなスポーツによる急激な疲労を英語でも“break the heart(心臓を破る、胸が張り裂ける)”とか“hit the wall(胸を打つ、くたくたになる)”といっていますから、正に日本流の「胸突き八丁」に当ります。
 このボストンマラソンで有名なのが優勝2回、2位7回などと力走した地元アメリカのジョニー・ケリー選手で、84歳までコースを走ったといいます。最も劇的だったのか、1936年に前年優勝したケリーとブラウン選手がこの丘でデットヒートを演じ僅差でブラウンが優勝した大会でした。この坂道での死闘を、日刊ボストングローブの記者がエンジン全開のケリーの心臓が張り裂けそうだったと報じたことで、「Breaking hill・心臓破りの丘」と呼ばれるようになりました。10年後に再び優勝したケリーの活躍に敬意を表して、後年この丘の麓に彼の2度の勇姿を基にしたブロンズ像が建立されました(図4)。
 

イソップの「兎と亀」
35図5(新).jpg さらに、1996年の第100回大会を記念して、ゴール近くの広場にボストンマラソン記念碑が建てられました。碑にはマラソンコースの高低差を図示し、その回りに各年度の優勝者名とタイムが刻印され、近くには「ウサギとカメ」の銅像も建てられました(図5)。ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメが、山の麓までのマラソン競技に挑んだものでしたが、走りに自信のある兎が油断して耳をいじったり居眠りをしている間に足の遅いカメの方が先にゴールインしてしまいます。この「兎と亀」の話は古く紀元前のイソップ物語からのものだったのです。
 明治時代の初等科の国語の教科書に「油断大敵」というタイトルで「兎と亀」の話が採用されました。「もしもし カメよ カメさんよ?」ではじまる童謡も、自信過剰で思い上がって油断すると物事をのがしてしまい、反対に、たとえ能力が少しであっても脇道にそれず着実に進めば最終的には大きな成果を得ることができると説いているようです。35図6.jpg


胸突き八丁での大和魂
 ボストンマラソンでは日本から7名もの優勝者を輩出しており、53年優勝の山田敬蔵、81、87年と2回優勝の瀬古利彦選手などが有名です。特に戦後の日本から初参加となった53年大会では、先のヘルシンキ・オリンピックで26着に終わった山田敬蔵が上位入賞のフィンランドのカルブォーネン、スウエーデンのアンダーソンらと胸突き八丁ならぬ心臓破りの丘でデッドヒートを演じわづか28秒の差で山田選手が優勝したのです。(図6)。
 



 

  

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