日本心臓財団刊行物

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耳寄りな心臓の話(59話)『心臓のこもごも百面相』

『心臓のこもごも百面相   

川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)
 
 
 変幻自在というわけではありませんが、心臓にもいろいろな顔があります。喜怒哀楽に合わせて変貌する心臓ですが、今回は病気に特徴的な心臓の容姿、格好についての話です。「怪人二十面相」は江戸川乱歩による推理小説の草分けでしたが、ここでは川内康範による赤心の「月光仮面」に登場願って、心臓のこもごもとした百面相の実態をあからさまにしたく思います。
  
たこツボ心59たこつぼ.jpgのサムネイル画像
59図1.jpg 突然に胸痛、呼吸困難で発症し、心筋梗塞ににているのですが、自然に治癒・軽快することが多く、高齢女性によくみられるものです。左心室造影や超音波検査では左室心尖部の心筋が収縮不全を来して膨らんだままになり、いわゆる“たこツボ”状になるというものです。先の新潟中越地震後に多発したことから、災害後のストレスによるカテコールアミン増加が影響しての心筋の一過性の機能不全と考えられています。素焼きの壺に縄を付けて海底に沈め、たこ(蛸)が入ってから引き上げる漁法は日本独特のものと思いますが、日本からの初例報告がなされたこともあり、諸外国でも「たこツボ心筋症“Takotsubo cardiomyopathy”」として注目されている比較的予後の良い急性の心臓病です(図1)

木靴心59きぐつ.jpg
59図2.jpg チアノーゼを示す先天性の心臓病に、心室中隔欠損、肺動脈弁狭窄、大動脈右方偏位、右室肥大など4つの特徴をもつファロー四徴症があります。胸部X 線写真をみますと、右室肥大によって心臓陰影の左第4弓が持ち上がり、ヒップアップしたように見えるのです。オランダの農村風景画などでみられる木靴に似ていることから、木靴心(きぐつしん)と呼ばれ、とくにフランスの小児科医だったファロー先生に敬意を表してcoeur en sabot、クール・アン・サボーとフランス語で呼ばれることが多いのです。このサボー・木靴ですが、かつてフランスの機械工場でも履かれていて、労働争議の際に木靴で機械を蹴ってアジったことから、サボタージュsabotageという言葉が生まれたとされています。しかし、今時の医学生に木靴といってもピンとこないのも道理で、子女の「ぽっくり」も古く、アメリカでのゴルフのクラブヘッドに似た心陰影が良いのではと考えています(図2)

雁首心59がんくび.jpg
 先天性心疾患の心内膜床欠損症では左室造影所見が診断の決め手となり、脂肪肝のためにお腹が突き出て首のくびれた鵞鳥に似ていることから、goose neck signと呼んでいます。発生学的には憎帽弁や三尖弁となるべき心臓の中心部の床部分に欠損がある状態と言えます。雁を飛べない家禽にしたものが鵞鳥であり、きざみ煙草用のキセルの雁首は大きくくびれていて特徴的な吸い口を作っていて正にgoose neckであり、雁首徴候と訳すことがあります。煙草用のキセルがほとんど用いられなくなったようですが、今日キセルといえば、乗車駅と降車駅付近だけの乗車券をもって途中の運賃を払わないキセル乗車の意味になるようです。キセルは雁首と吸い口の両端は高価な金属でできているものの、途中の管はラオと呼んでラオス原産の比較的安価な節無しの竹を用いていたことからのようです(図3)59図3と4.jpg 
甲冑心(かっちゅうしん)59かっちゅう.jpg
 心膜炎や心臓外傷、それに心臓術後に心臓を包む心膜腔に水がたまり、慢性期になると水分は吸収されて心膜は癒着し、しかも厚くなって心臓の自由な運動、とくに拡張を妨げてしまいます。このような慢性収縮性心膜炎では心臓が冑(よろい)を付けた様な状態になることがあり、甲冑心(かっちゅうしん)(armour heart)と呼ばれています。拡張不全のために、静脈圧が高まり肝不全や大腸での栄養吸収障害が起こります。治療としては強心療法のほか肥厚した心膜の剥皮術が必要になることがあります。ところで、キューピッドの矢が心臓を掠めて失恋に終わる状態も心臓外傷に例えられますが、こちらは救急蘇生の対象になりませんし、草津の湯でも効なく全くお手上げです。熱病の常として、時間がすべてを解決するようで、キューピッドの矢が掠めたといっても、失恋の後に本物の収縮性心膜炎や甲冑心を来した事例に遭遇したことはありません(図4)

石様心59いし.jpg
 開心術には人工心肺による体外循環が用いられ、心臓内手術が完了して復温し、冠動脈に血液を流し始めると、停止していた心臓が目覚めた様に拍動を開始します。ところが初期の頃には、潅流を始めても心臓が収縮したまま石の様に硬くなって動かないことが時にありました。大量の血液が急に冠動脈に流れ込んだことによる再潅流障害が起こったためで、心臓は止まったままでウンともスンとも言わず、石様心臓症候群 stone heart syndromeとして恐れられたものです。その後、心停止中も冠動脈に心筋保護液を定時に注入するようになって、劇的に改善されました。ギリシャ神話の怪人ゴルゴン3姉妹の一人メドゥサは蛇の頭髪をもち眼光鋭く、これを見るものをすべて石に化したといいますから、石様心も「メドゥサ心」でよいのですが、すでに肝硬変などによる腹壁静脈の怒張を表すのに「メドゥサの頭」が用いられていますので、ここでは遠慮したほうがよろしいようです(図5)

滴状心59しずく.jpg
 胸部X線写真で、真ん中の心陰影が過膨張気味の肺臓に挟まれて大血管から垂れ下がり、滴下直前の水滴のような形をしていることから滴状心(てきじょうしん)あるいは下垂心 drop heartとも呼ばれています。胸部X線写真での胸幅と心横径の比率である心胸郭比が35%以下のことが多いようです。喫煙などによって起こる肺気腫では、肺胞壁が壊れて肺組織が弾力性を失い肺胞が過度に膨張している状態になり、その間に挟まれた心臓は滴状心を示すようになります。この他、活動性が低く、低血圧気味で無気力型の人にも滴状心のみられることがありますが、X 線写真で形は弱々しく見えても、心臓自体の機能は正常であることが多いのです(図6)59図5と6改.jpg
 
悲嘆心59ひたん.jpg
 こちらは失恋や悲嘆による痛手が大きくて起こる心臓の変化ですから、悲嘆心broken heartと呼ぶこととします。若い人達の失恋の痛手は草津の湯でも治らず、つける薬もないと投げ出されがちですが、多くは時間が解決してくれます。しかし、老境に入ってから伴侶を失っての悲嘆は心臓に強く影響するようで、相手を失った一両日に心筋梗塞で倒れる危険が21倍にも増えるという驚くべき報告がありますから、心の傷に止どまらず本物の心臓病に進展することもあるということで要注意です。ところが最近になって悲しい不幸な出来事だけでなく、急に大きな喜びでも心臓死の起こることが報告されています。誕生日のサプライズや宝くじの大当たりで喜び過ぎてあの世に行ってしまう例があるというのです。よく耳にする「年寄りの冷水」と戒めているのでしょうか。 
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