日本心臓財団刊行物

心臓病の予防と啓発のための冊子を多く発行しています。
バックナンバーをPDF版にして掲載していますので、ぜひご利用ください。

耳寄りな心臓の話(第31話)『サムライ科学者の手になる強心剤』

『サムライ科学者の手になる強心剤 

北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943 -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943- -北里柴三郎1852-1931 /鈴木梅太郎1874-1943-  

 

川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)

 

 アドレナリンは心筋の収縮力を強め気管支拡張作用もありますが、この副腎髄質ホルモンを世界で初めて抽出し結晶化に成功したのがサムライ科学者の高峰譲吉でした。さらに、消化酵素のタカジアスターゼを創薬し、開国間もない日本の文化をアメリカに広めようとポトマック河畔の桜並木計画にも尽力したのです。
 

麹カビからタカジアスターゼ
 高峰譲吉はペリーの黒船が浦賀に来航し日本中が大騒ぎしていた安政元(1854)年に加賀藩医・高峰元陸の長男として越中の国、今でいう富山県高岡市で生まれました。加賀藩の子弟として才能を高く評価され選ばれて長崎に留学し、坂本竜馬らとも交遊があったといいます。さらに工部大学校(現在の東大工学部)応用化学科の一期生として入学し、明治13(1880)年から英国グラスゴー大学に留学したのです(図1)。
 帰国後は農商務省に入ってアメリカ・ニューオリンズでの万国工業博覧会に派遣されたことが縁で、アメリカ人のキャロライン・ヒッチと結婚することになりますが、その間ワシントンDCでアメリカの特許法を学んで、日本の特許制度の整備に尽力しました。
 麹カビからタカジアスターゼ
 高峰譲吉はペリーの黒船が浦賀に来航し日本中が大騒ぎしていた安政元(1854)年に加賀藩医・高峰元陸の長男として越中の国、今でいう富山県高岡市で生まれました。加賀藩の子弟として才能を高く評価され選ばれて長崎に留学し、坂本竜馬らとも交遊があったといいます。さらに工部大学校(現在の東大工学部)応用化学科の一期生として入学し、明治13(1880)年から英国グラスゴー大学に留学したのです(図1)。
 帰国後は農商務省に入ってアメリカ・ニューオリンズでの万国工業博覧会に派遣されたことが縁で、アメリカ人のキャロライン・ヒッチと結婚することになりますが、その間ワシントンDCでアメリカの特許法を学んで、日本の特許制度の整備に尽力しました。
 麹カビからタカジアスターゼ
 高峰譲吉はペリーの黒船が浦賀に来航し日本中が大騒ぎしていた安政元(1854)年に加賀藩医・高峰元陸の長男として越中の国、今でいう富山県高岡市で生まれました。加賀藩の子弟として才能を高く評価され選ばれて長崎に留学し、坂本竜馬らとも交遊があったといいます。さらに工部大学校(現在の東大工学部)応用化学科の一期生として入学し、明治13(1880)年から英国グラスゴー大学に留学したのです(図1)。
 帰国後は農商務省に入ってアメリカ・ニューオリンズでの万国工業博覧会に派遣されたことが縁で、アメリカ人のキャロライン・ヒッチと結婚することになりますが、その間ワシントンDCでアメリカの特許法を学んで、日本の特許制度の整備に尽力しました

麹カビからタカジアスターゼ31回図1.png


 高峰譲吉はペリーの黒船が浦賀に来航し日本中が大騒ぎしていた安政元(1854)年に加賀藩医・高峰元陸の長男として越中の国、今でいう富山県高岡市で生まれました。加賀藩の子弟として才能を高く評価され選ばれて長崎に留学し、坂本竜馬らとも交遊があったといいます。さらに工部大学校(現在の東大工学部)応用化学科の一期生として入学し、明治13(1880)年から英国グラスゴー大学に留学したのです(図1)。
 帰国後は農商務省に入ってアメリカ・ニューオリンズでの万国工業博覧会に派遣されたことが縁で、アメリカ人のキャロライン・ヒッチと結婚することになりますが、その間ワシントンDCでアメリカの特許法を学んで、日本の特許制度の整備に尽力しました。
 この頃、ビールやウイスキーの製造に必要な澱粉分解酵素には麦芽から作るジアスターゼを用いるのが一般的でしたが、高峰は米麹(こめこうじ)から消化酵素のジアスターゼを効率よく作る方法を見出しました。東京に人造肥料会社を設立して実業家の道を歩み始めますが、この画期的な「高峰式元麹改良法」を採用したいというアメリカの酒造会社の誘いで渡米し永住することになります。31回図2.png
 米麹からのジアスターゼ製法に関する高峰の方法は微生物生産物質としてアメリカで最初に認められた特許となりましたが、この特許権を買い取った製薬会社大手のパーク・デーブィス社はウイスキー製造に用いるのではなく消化薬「タカジアスターゼ」として売り出し大ヒットしました。この“タカ”は高峰のタカととれますが、ギリシャ語での「最上」を意味する“taka”でもあったのです。
 巨額の特許料を得た高峰はアメリカに研究室を設立するとともに、東京にも1899年に消化薬「タカジアスターゼ」を販売する三共製薬の前身となる会社を作りましたが、現在でも主力商品の「新三共胃腸薬」それに「第一三共胃腸薬」の主成はタカジアスターゼなのです(図2)
 




アドレナリンかエピネフリンか31回図3.jpg


 ニューヨークのマンハッタンに移って研究室を設立した高峰は、明治33(1900)年に日本から呼び寄せた若い薬学者・上中啓三とともにウシの副腎から「アドレナリン(「腎臓の近傍」の意から)」を抽出して結晶化に世界で初めて成功しました。
 しかし、この方面の研究ではアメリカの薬理学の大御所、ジョンズ・ホプキンス大のエイベル教授も1895年頃からヒツジの副腎から「エピネフリン(「腎臓の上」の意から)」を分離・精製していたのですが不純物が多く腐敗しやすいということと、効能も一定していませんでした。このため、イギリスをはじめヨーロッパの薬学界は高峰のアドレナリンを副腎からの有効成分と認めましたが、アメリカのエイベルらは科学専門誌『サイエンス』を通して「実業家の高峰が薬学者エイベルの発見したエピネフリンの製法を盗み、それにある種の化学処理を施したのがアドレナリンである」と訴えたのです。
今日に至るも、アメリカに寄稿する論文では学術用語として「アドレナリン」は認めておらず、本来は化学構造の違うはずの「エピネフリン」の名称の使用が求められ、日本の学会でもこれに準じた対応を取ってきました。すなわち、「エピネフリン」の使用は、北アメリカと日本に限られ、ヨーロッパ各地および世界全域では「アドレナリン」の使用頻度が高く、実際にGoogleで検索すると「アドレナリン」が80万件で「エピネフリン」が3万8千件と、差は20倍以上と前者が断然優勢との報告もあります。
 やっと、平成18(2006)年になって日本薬局方が改正され、国内でも正式に「アドレナリン」と呼べるようになったばかりです。あくまでも「エピネフリン」を併記することが条件といいますから、100年以上を経ても学問での亀裂はなかなか埋まっていないようです(図3)。


 ポトマック河畔の桜31回図4.jpg


 1900年代のはじめ、武士道に基づく文化と桜を愛でる日本人の精神に深く魅せられたアメリカの作家エリザ・シドモア女史はタフト・アメリカ大統領夫人らとともに、ワシントンのポトマック河畔の埋め立て地に日本の桜を植樹するための活動を展開していました。 兄が在日総領事だったこともあって日露戦争中の日本を訪問したシドモア女史は、松山捕虜収容所を訪ねてロシア人捕虜の人道的な扱いをテーマに描いた小説を発表していたのでした。
 同じ頃、高峰も開国したばかりの日本の文化をアメリカに広めようと、ニューヨークのハドソン河畔に自宅を建てたのを機に桜の苗木を日本から取り寄せ、川沿いやセントラルパークに植え付けようとしていたのです。シドモア女史らの桜の植樹活動を耳にした高峰は早速当時の東京市長・尾崎行雄に連絡をとり、寄贈の手筈を調えたのでした。31回図5.jpg
  実は1909年のソメイヨシノなど2,000本の桜の苗木は長い航海の後にシアトルに荷揚されワシントンD.C.に運ばれましたが、虫害がひどく全ての苗木が焼却処分となってしまいました。しかし、大正元(1912)年になって品種改良された3,020本の桜の苗木が新たにワシントンD.C.に贈られ、同年3月27日、タフト大統領夫人、駐日珍田大使夫人、シドモア女史らの出席のもと植樹式が挙行され、翌年から見事な花を咲かせたのです(図4)。
 その2年後に桜の返礼としてアメリカから白花種ハナミズキ(dogwood)の苗40本が日本に贈られ、ついでピンクの苗も届いて日比谷公園などに植えられましたが、太平洋戦争を境に「敵国の贈り物」として原木の所在は不明となってしまいました。日本古来の野生のヤマボウシに加えてアメリカ・ヤマボウシは白花やピンクのハナミズキとして方々で街路樹などとして見ることができます(図5)。
 近年、「アメリカに桜を咲かせたサムライ科学者」として数奇な運命をたどった高峰譲吉の生涯が映画化されたばかりです。
 
 
アドレナリンは心筋の収縮力を強め気管支拡張作用もありますが、この副腎髄質ホルモンを世界で初めて抽出し結晶化に成功したのがサムライ科学者の高峰譲吉でした。さらに、消化酵素のタカジアスターゼを創薬し、開国間もない日本の文化をアメリカに広めようとポトマック河畔の桜並木計画にも尽力したのです。
  

高齢者の心臓病 高齢者の心臓病
CLOSE
ご寄付のお願い