日本心臓財団刊行物

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ドクターのつぶやき-母への想い篇-

ドクターのつぶやき 母への想い篇

夢幻の境に遊ぶ

 
01-05.jpg 身内に認知症のお年寄がいて、老人ホームにお世話になっている。車椅子とベッドの生活である。見舞いにいくと喜んで、礼をいってくれる。痛むところはないし、幸せであるといってくれる。瞬間的にははっきりとしているかのようであるが、今の瞬間と次の瞬間とがつながっていない。あったことをいくらも経たないうちにもう忘れてしまう。食事をしても、オムツの交換をして貰っても、終わった瞬間にすぐまた、再度の催促をする。数十年前のことをまぜこぜに、楽しげに話していたが、フッと口を利かなくなった。だまりこくって、まぶたがさがってくる。ヘルパーさんが抱きかかえてベッドに寝かす間、その腕の中に体を預けている様子は赤ん坊のように無心にみえた。

 何をしようとしていたのか、瞬間的に忘れることは私にも若い頃からよくあった。夢もこの頃、時にみるが、すぐ忘れてしまう。認知症には、誰のなかにも潜んでいながら表にでてこなかったもの、あるいはいつも夢の中にあるといったものがあるのではなかろうか。夢幻の境に遊ぶという。認知症の世界から現実に呼び戻すことは難しい。認知症の介護とは、われわれもまた、その世界に仲間入りしながら、周辺の社会との摩擦を避ける工夫をするということなのではなかろうか。あるとき、チグハグな応答にこんなことを考え込んでいて、少しく話が途絶えたとき、訝しげに、元気がないが病気はないのかと問われてしまった。心配されて、胸にジーンとくる熱いものがあった。

(2006年1月号掲載)

ほめられるようなこと

01-02.jpg 施設にいる101歳のおばあちゃんに、あちこちから慶びの言葉が寄せられる。久々に顔をみせた曾孫たちが「おめでとうございます」といったところ、「何もほめられるようなことをしたのではない」と憮然としていた。平素は記憶が混乱していて、話がかみあうこともないおばあちゃんなのであるが、ときにさすがと思わせるような言葉がある。生まれたばかりの赤ん坊をほれぼれと見て、「この子は私と年が100歳違う」といった。まさに1世紀の開きである。当たり前のことかも知れないが、歳はただ、漫然と重ねられていくだけのものではない。

 施設の誕生会で、施設長さんが「この方は施設のみなさんの憧れであり、目標です」と挨拶された。目標となってよいほどに心身ともに健康な長生きなのではないのであるが、あやかりたいと思われる年齢にあるだけでも、やはりおめでたいといってもらってよいのであろう。 

(未掲載)

長生きの意義

  01-04.jpg 桜が満開の日、母を亡くした。101歳であった。最後の2年間ほどは次第に、足腰の力が衰えて立てなくなり、話の内容もつじつまがあわなくなって、老衰とはこのようなものなのかと思ってきた。このような母であったが、こうした時期に、折々に聞いた言葉の中には、その後も心に残っているものがある。

 あるとき、「自分の生涯は幸せな人生だった」といってくれた母は、「つらいこともあったけれど、すんでしまえば、ほんのいっときのことだったね」と続けた。私の知る母は、長い人生の中で、愚痴をこぼしたことはなかった人であった。誰もがつらかった戦後の混乱の一時期を含めて、息子の目からも生活の苦しい時代があったが、弱音を吐くのを聞いたことはなった。強く、たくましく生きた母であったと思っていた。しかし、実は辛いと思ったことはあったのである。そしてそのつらさは長い人生が希釈してくれたのであった。

ここでまた、宝石のように思う母の言葉の一つとして噛み締めながら、だから長生きは大事なのだと教えられたように思った。

(2007年8月号掲載)

微笑みは口許にあった

 亡き母のことを書かせていただく。
過日、亡くなった母の位牌の脇に、葬儀のときに用いた母の写真が立てかけてあった。かなり昔の写真である。母が気に入っていた写真であった。葬儀の後、納骨されるまで、私がお線香を上げる都度、写真の母は私に厳しい目を向けていた。納骨をいやがっているように思えた。まだ冷え込みの残る時期であった。写真の母は私に向かって、「自分たちは暖かい家にいながら、私をあの冷たく、暗いお墓に入れてしまおうというのか」と咎めているようであった。四十九日が経って、納骨を済ませた翌朝、驚いてしまった。写真の母は私に微笑みかけて、「これで落ち着いたね。長い間、有難うよ」といってくれているようであったのである。本当に驚いてしまった。

 納骨されるまで、正面に置かれた骨壺が写真の口許を見えなくしていた。骨壺がなくなって、口許にあった微笑みが見えるようになっていたのである。嬉しくなってしまった。

今は毎朝、微笑みかけられる度に、「どういたしまして、私も幸せでした」とお返している。「目は口ほどにものをいい」という。しかし、微笑みは口許にあるということがある。やはり顔はそのすべて、口許までもみなければ誤解してしまうものである。母は亡くなった後も、ものごとは、一部だけをみて判断してはならないと教えてくれたのであった。

(2006年11月号掲載)

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