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月刊心臓

編集後記 (2010年)

2010年12月号

 私は2010年10月から編集委員に加えて頂いた.専門は心臓血管外科であり,現編集体制では2人目の外科医である.雑誌「心臓」は,私が心臓血管外科の基礎トレーニングを受けていた15年前,日本語論文の投稿誌の中でも選り優れた論文を掲載する,いわば「敷居の高い」雑誌であった.今から思えば駄作ではあるが,当時何度も推敲を重ねた拙作が受理された時の嬉しさは,今でも忘れられない.
 時が経ち,時代の趨勢ではあるもの,循環器分野の雑誌の多くが英文化された.心臓血管外科でも然りである.医学・医療の国際化はますます進み,英文による発表が不可欠になっていることは論を待たない.しかし,私たちは日本人である.教室の若手医師の論文や査読の際に目にする和文論文を読んでいて気になることがある.それは,日本語の文章として体を成していないことである.論文の内容が悪いわけでは決してない.例えば,症例報告でよく見かけるのが,退院サマリーからそのまま丸写ししただけのような内容,つまり,単語の羅列だけで,述語を伴わない不完結文である.簡潔に要領よくまとめることは重要なことではあるが,それとこれとは別の問題である.
 推敲という言葉があるが,医学的な内容と考察を深めることはもちろんのことではあるが,日本語らしさを考えながら論文を書くことも教養人として必要であろう.是非とも,多くの循環器診療の将来を担う諸兄から,優れた和文論文を「心臓」に投稿していただければと願っている.

2010年11月号

 猛暑の7月,8月そして平年より3℃も気温の高かった残暑の9月も過ぎ,ようやく過ごしやすくなってきた.さて,今回のHEART’s Selectionでは肺高血圧症が取り上げられた.肺高血圧症,特に以前原発性肺高血圧症と呼ばれていたものは,予後不良で治療法もエポプロスタノールの持続点滴という特殊な治療しかなく一般循環器医にはなかなか手に負えない疾患という印象が強かった.しかしながら,最近になりさまざまな傾向の薬がわが国でも使用できるようになった.従来のベラプロストに加えて,数年前よりエンドセリン受容体拮抗薬やホスホジエステラーゼV阻害薬などの経口投与が可能となった.まず,ボセンタンとシルデナフィルが,そして最近タダラフィルとアンブリセンタンも新たに発売された.さらに,一昨年のDana Point会議により改訂された肺高血圧症の分類や治療アルゴリズムがいろいろな形で普及し,また,最新の知見を盛り込んだESCの立派なガイドラインも作成された.2005年に発表されたわが国の肺高血圧ガイドラインも近々改訂されると聞いている.
 このように,肺高血圧症,特に肺動脈性肺高血圧症は一般循環器医にとって手の届くところまできたといえる.しかしながら,肺動脈性肺高血圧症は症例数も少なく,われわれ一般循環器医にとって,いまだ馴染みのない疾患である.国内のエキスパートの数も限られている.冠動脈疾患,心不全など,日ごろわれわれが多くの経験を積んでいるcommon diseaseを扱うのとはわけが違う.さまざまな治療法が一般的に使用できるようになり,診療の裾野が広がることは患者にとっても好ましいことと思われるが,一方で不慣れな医療提供者が高価な治療薬を濫用し,“生兵法は怪我のもと”になっては本末転倒である.一般循環器医は常に自己啓発を心がけ,また,この領域で活躍するエキスパートを中心に地域ごとにネットワークを形成し,治療に難渋した場合に適切なコンサルトが受けられる体制を構築するなどの努力が,循環器全体として今後必要と思われる.
(百村伸一)

2010年10月号

 2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩博士が執筆された「私の履歴書」が6月から7月にかけて日本経済新聞に掲載された.渡米し,プリンストン大学とウッズホール海洋生物学研究所で発光物質の研究に没頭し,GFP発見に至る経緯が詳細に述べられており,筆者はこの連載を読むのを楽しみにしていた.毎年夏になると,研究所のあった東海岸から研究室のメンバーと家族も総出で西海岸のシアトルへ車を走らせ,毎日朝から晩まで海岸でクラゲを大量に採取し,発光物質の抽出を繰り返したそうである.当時,フライデーハーバーの海岸,桟橋には大量のオワンクラゲが生息し,網ですくえばいくらでも採取できた.しかし,下村博士の研究が終了したのとほぼ同時期から,突然にオワンクラゲはなぜか姿を消したそうである.のべ約25万匹のオワンクラゲから抽出・精製されたのがイクオリンとGFPであり,天が博士の研究を味方したと,ご自身でも述べられている.
 アメリカの大学に留学する日本人学生が減っているという.2004~2005年度に米国の大学で学ぶ日本人学生数(学部・大学院)は4万2千人だったのに比し,2008~2009年度では2万9千人であった.対象的に中国,韓国,インドからの留学生は増加の一途をたどっている.学生だけでなく医師の留学も同様に減っているようだ.日本のある大学の先生から聞いた話であるが,留学先の大学から給与が支給され身分が保障されているポストでも,希望者がいないという.アメリカでは研究だけで臨床ができない,といったことが敬遠される理由のひとつかもしれない.しかし下村博士ならずとも,留学がその後の転機になった先生方も多くいらっしゃるのではないだろうか.わが国は高齢化社会の後に人口減少時代を迎える.我こそはと思う若手医師の皆さんに,積極的に海外で学び,活躍してもらいたいと思う.
(竹石恭知)

2010年9月号

 今号も興味深い症例が満載されている.「高齢者ループスによる漿膜炎」の症例報告を読んで思い出した症例がある.83歳の男性が胸膜炎で入院してきた.研修医に原因をよく考えなさい,と言っておいたところ,マニュアルどおりに検査を進めた.抗核抗体を調べたところ,1:40で弱陽性,血小板は9万,さらに尿蛋白を定量したところ0.6g/日であった.糖尿病を持っている患者である.研修医は得意げにSLEの診断基準を満たしましたと報告してきた.確かに4項目陽性である.しかし抗核抗体は擬陽性の多い検査であり,タイターも非常に低い.尿蛋白は糖尿病のためであろう.臨床的に83歳の男性が初発のSLEである確率は低い.実際,胸膜炎は1週間ほどで治癒した.おそらく特発性かウイルス性胸膜炎であったと思われる.ところが,研修医は退院時診断としてSLEをあげてきた.診断基準を満たしているからSLEと診断できます,という主張である.診断基準やガイドラインだけで診断や治療方針が決まれば,医師はいらない.最近の若者がマニュアル世代であるのは共通の認識であるが,EBMやガイドラインをバイブルのように利用する傾向に危機感をおぼえる.腕の良い医師の条件は,最新のエビデンスやガイドラインをよく知ったうえで,経験に基づいて,患者の病状や医学的問題点を把握して正しい診断を得,個々の患者に最適な治療を工夫することであろう.ガイドラインはあくまで一般的な手順書であって,医師の経験や裁量にもとづく医療行為を補うものにすぎない.今号の「高齢者ループスによる漿膜炎」の症例報告は精緻な検査と議論に基づいて診断を示した価値の高い論文である.当科の研修医もこの論文をよく読んでいれば安易に病名をつけることもなかったかもしれない.医師の経験不足や経験の偏りを補うために症例報告を丹念に勉強すること,また,症例を吟味して報告を執筆する習慣を持つことが,特に若手の医師には大事なことだと思う.
(磯部光章)

2010年8月号

 本年5月22,23日と東京で"The Pulse of Asia in 2010:The Second Asian Conference on Pulse Wave and Arterial Stiffness"が開催された.第1回は韓国のJeong Bae Park教授が中心となって昨年4月に韓国で開催されたばかりの若い会であるが,韓国,中国,マレーシア,シンガポール,オーストラリア,日本の研究者が中心となって脈波,脈波速度,AIや中心血圧などについて熱心に討論した.この領域で高名なオーストラリアのMichael O'Rouke教授とイギリスのJohn R Cockcroft教授が参加されたこともあり,大変に盛り上がった.
 Cockcroft教授の話には驚いたので紹介しよう.「1896年にイタリアのScipone Riva Rocci(1863-1937)が上腕カフを用いた水銀圧力計による血圧測定法を考案して以来,血圧測定は一般的に上腕動脈で行われている.簡便なこともあり,上腕動脈で計測した値が血圧値として,一般診療,疫学研究,あるいは臨床研究において長く用いられてきた.しかし,心臓や主要血管に直接的に負荷をもたらすのは上行大動脈や頸動脈などの中心血圧であり,その重要性はASCOT-CAFE studyやStrong Heart Studyで明らかにされた.簡便に中心血圧を推定できる血圧測定器が市販され普及してきている昨今,中心血圧こそが血圧であり,上腕血圧にとってかわるべきだ.上腕動脈で計測する血圧計が歴史的なものとして博物館に飾られる日も遠くない.」博物館行きについても本気モードだったので驚いたが,血圧についてパラダイムシフトが起きつつあるのも確かである.
 本号のHEART's Selectionでは,"動脈の硬さと心血管疾患(基礎と臨床)"を企画し,その中で中心血圧も紹介してもらった.私たちが日常診療で何気なく測定している血圧値についても,考えなおすべき時代が来ている.
(山科 章)

2010年7月号

 医師不足が叫ばれ,医学部の定員が増やされ,医科大学の新設なども取り沙汰されているが,医師不足の解消はまだまだ先の話だ.その中で循環器専門医は,今年4月に新たに約6百名が認定されて総数1万2千名を超え,循環器学会会員の半数が専門医の勘定だ.最近の若手医師は,患者さんのQOLより自分のQOML(Quality of My Life)を重視すると言われる中で,3K職場の1つに数えられる循環器を目指す人が多いことは嬉しい.
 医師不足,偏在の解消には,専門医制度も期待されている点がある.先進国の専門医制度では,専門領域やその研修地域が医療の需要との微妙な兼ね合いの中で,うまく運用されている例が多い.専門医制度を医師偏在の解消策と考えるのは本末転倒であるが,例えば,現在の各専門医の各病院における研修プログラムに定員が設けられたら,十分な症例数を確保した専門研修が担保されて,かつ地域の医師不足,偏在の解消にも役立つであろう.日本専門医制評価・認定機構から新たな専門医制度のあり方が提唱されている.その骨子は,専門医制度を基本領域の専門医とその基本領域と密接に連携した診療領域の専門医の二段階とする,専門医の認定は学会ではなく新たな第三者機構が認定する,将来的には専門医の適正数を明示する,というものである.厚労省が外形基準を定めた広告が可能な専門医資格との兼ね合いをどうするか等,まだまだ課題は多いが動き出している.
 日本専門医制評価・認定機構が行ったインターネット調査で,1万5千人に専門医受診経験を尋ねたところ「これまでに専門医を受診したことはない」という回答が実に80.9%あった.専門医の認知度はまだまだ低いのだ.循環器専門医は,内科認定医を基盤(1階)とすれば,2階にあたる専門医であるが,基盤の資格が研修年限3年の認定医止まりなのは内科系専門医のみである.さらに,初期臨床研修での一般内科研修期間が短縮される方向にあり,専門研修がさらに早まる点は問題であろう.専門以外の内科がますますわからなくなるのではないか.若い人も専門研修への道を急ぐ人が多いが,そんなに急いでどこへ行く?
(山口 徹)

2010年6月号

 大河ドラマの影響もあってか,今や世の中「龍馬」ブームである.高知の龍馬記念館はもちろん,東京,京都,神戸,長崎などにある坂本龍馬ゆかりの場所や史跡に,にわか龍馬ファンが押しかけていると聞く.書店の最も目立つ所に龍馬関連の書籍が何十種類も山積みにされ,「歴女」が蘊蓄を傾けるばかりでなく,あちこちで龍馬気取りの発言をする人も多いようである.編集子もかつて若かりし頃,司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」を一気に読破した時,他の小説にはない何とも言えないさわやかな後味を感じたことを思い出した.あくまでフィクションではあるが,小説の中の龍馬の自然体で前向きな生き方に大いに共感するところがあったのかもしれない.
 翻って現代の日本,政治も経済も外交も混沌として定まらない.我々の関係する医学の分野においても,医師不足や専門領域の偏在,ゆとり教育世代の学力低下や理科離れ,基礎医学者の激減,教育費や研究費の大幅な削減など,あちこちにさまざまな歪みが噴出しているように思える.事業仕分けによって税金の無駄遣いを減らし,適正な予算配分を行うことが重要なのは言うまでもないが,「1番ではなく,2番ではいけないのか」という議論など,何だか最近日本国全体が縮こまって,内向きでネガティブな感じがしてならない.若い医学生たちを見ていても,平均的で横並びを重視し,自分だけが突出することを極端に嫌い,そこそこの成績で無難に進級,卒業すればよいという人が多いようである.以前は,編集子の大学はどちらかといえばバンカラな校風で,型破りな人が1学年に数人はいたものであるが,最近は殆どが大人しい優等生タイプばかりで,人に抜きん出ようという考えの学生にはとんとお目にかからない.
さまざまな分野で我々を取り巻いている閉塞感,これを突き破るにはどうしたらよいのか.進むべき道筋を明確に示してくれるような,ポジティブで自由闊達な発想を持った「現代の龍馬」は,いつ現れるのだろうか.
(加藤貴雄)

2010年5月号

 本号では心エコーによる心筋虚血の診断が特集されている.心エコーでは,最近のソフト開発によって単に壁運動の視覚的評価だけではなく,より精密な新しい機能評価が可能となり,CRTの適応などへの臨床応用が進んでいる.一方で虚血の評価は,負荷エコーが普及していないわが国においては大きな課題であった.増山先生の企画された新しい方法論,充実した内容を楽しんでいただけただろうか?
さて,心エコーの評価技術だけでなく,基本的な身体所見の取り方や救急患者への対応,非侵襲的画像診断や,さらには心臓カテーテル検査の基本,そして冠動脈インターベンションや不整脈に対するアブレーション技術まで循環器専門医の教育は幅広い.米国ではcardiologyのboard に身体所見の取り方などの実技があり,個々の技術を確認してゆくプロセスが専門医取得の過程で組み込まれている.わが国の専門医教育は主に筆記試験が主であったが,最近では学会の教育プログラムでハンズオン,ウェットラボやインターベンションの実技試験などの環境が次第に整えられようとしている.米国のようなfellowの制度を確立することは,わが国の現状では難しいかもしれないが,学会主導の教育制度をさらに踏み込んだ形で作ってゆくことは一考の価値があるように思う.
 先日のアトランタでのACCとの会議でも,身体所見の取り方を標準化して教えるABIMのシステムの日本への導入の可能性を提案されたが,ACCでは以前からACCELに代表される優れた教育資材とシステムが機能しており,会員に多くの情報を提供している.学会主導でこのようなことができるのは,実際のところ,やはり医療に余裕があるからなのだろうか.オバマ大統領の提案する米国の国民皆保険もいよいよ最終段階となり,本号が出版される時には大体の方向が決まっているだろうが,米国の今後の医療教育制度の変化にも注目してゆきたい.
(代田浩之)

2010年4月号

 医師不足ということが,頻繁にいわれているし,よく耳にする.それを理由に医学部新設のことも医療界の大きな話題の1つである.ここでそのことを論じるつもりはない.ただ,医師不足に関して,自分が専門にしている心臓外科に限って思うことがある.それは,心臓外科医は決して少なくないということである.日本の心臓手術の成績はいまや世界のトップレベルである.ほとんどの病院で,外科医は,手術の説明はもちろん,手術のための多くの書類の説明から始まり,リスクのある手術をして,外科医が術後管理をして,一人ひとりの患者さんを元気で退院をさせている.外科医が本来の手術以外の業務を自らの"奉仕"の精神で賄っているから,なり立っているのである.近年,夢のある若い外科医は,本来の手術以外の業務は自分たちの仕事ではないと思う新しい世代である.医師数だけを増やしても,仕事内容に不満を持つ医師が増えるだけで医療が回らないのである.医師数を増やしても何ら根本的な解決にはならない.要は,医師をサポートするシステムができていないのである.一日も早く他国のように,ナース・プラクティショナー(NP)や,フィジシャン・アシスタンス(PA)制度がスタートすることを強く望んでいる.
(四津良平)

2010年3月号

 AHAに参加すると,毎朝,あの長いhallを早足で歩いている途中でその日の朝刷り上ったNewsを配布するvolunteerに遭遇する.10年程近く前になろうか,前日の日本からの発表がTopicsになり一面を飾っていた.下肢末梢動脈閉塞に対する血管再疎通療法であった.今回の特集はPADへのインターベンションであるが,PADの原因のほとんどはASOであり,喫煙,DM,HT,透析なども濃厚に関連しているとされている.今回のHeart Selectionの著者の先生の多くは冠動脈インターベンションの術者でもあることからも,PADが冠動脈疾患と密接に関連していることが推測できる.代表的テキストの著者,PCIのprofessionals,若手のPADインターベンショナリストが名前を連ねている.若い頃からその上達振りを拝見してきた身近な先生方も含まれている.わが国を代表する施設から選ばれたexpertsである.このupdateな特集が,毎年数千人いるといわれている,下肢切断症例の診療に少なからず生かされるであろう.
 この領域でも,再生医療,血管新生療法が研究されてきた.血管内皮細胞の新生を促す成長因子,内膜肥厚や血管平滑筋細胞増殖においてApoptosisを誘導させて血管再構築の修復を促進するsignalが発現する.Heparinは強力な内皮細胞増殖物質である.Statin,PDE5阻害薬,PGI2は平滑筋のApoptosisを誘導するらしい.そして骨髄由来の血管内皮前駆細胞EPCが流血中に遊離され,血管壁に取り込まれそして血管壁の細胞として形質変換を受けてreverse remodelingに作用する.そのEPCを増加させる刺激の1つにErythropietin(Epo)がある.EpoはCD34+EPCを遊離させ,これがVEGF分子と結合して血管壁に取り込まれていく.
 これらのBench to Bedside研究の産物が,臨床医の手が届くところまで来ているのは感じるが,さらなる確実性,安全性,持続性が確立されることを期待したい.PADは外科と内科とそして基礎研究が重なる多面的な部分ではないであろうか.
(佐地 勉)

2010年2月号

 今回はOpen Heartとして佐賀大学の胸部心臓血管外科の森田茂樹教授に,「新な局面を迎えるわが国の心不全治療」というタイトルで執筆いただいた.またHeart Selectionとして東邦大学医療センター大森病院の佐治 勉教授に学校検診を取り上げていただいた.本誌では内科系のみならず,心臓血管外科や小児科系のテーマも含めた幅広い心臓病領域の企画を心がけており,そのあらわれともいえる.また,症例報告では毎回そうであるように多彩な症例とそれに対するeditorial commentが掲載された.この様式は他の医学雑誌にはあまり類を見ない.Editorial commentを書いていただく先生方には負担となるが,症例報告とeditorial commentとをあわせて読むことによって,さらに症例についての理解が深まる.
 さて,話は変わるが,2009年も11月にオーランドで開催されたAHA(アメリカ心臓協会)の年次学術集会に出席した.AHAといえば世界最大の循環器の学会というイメージであるが,最近それに翳りがみられる.今回の会場は前回と同じOrange County Convention Centerであったが,前回に比べて人の数が少なく,以前は立ち見が通常であったLate-Breaking Clinical Trialsのセッションも余裕を持って座れる状況であった.展示場も例年の半分以下との印象で,学会に関連したさまざまな活動にも規制が多いと聞いた.米国経済の沈滞がそのまま反映されたような学会で,淋しい感じがした.
 一方,8月にバルセロナで開催されたESC(ヨーロッパ心臓学会)は活況を呈していた.最近では多くの関心を集める大規模試験の結果は,AHAよりもむしろESCで発表される傾向にある.アジアではどうであろうか? 日本循環器学会は国際化を推進するために,篠山重威・京都大学名誉教授の提案により10年以上前より一定の割合で英語の発表を取り入れることになり,それが定着した.また,毎年世界をリードする高名な専門家が招聘されるのみならず,アジアからの参加者も年々増えつつある.しかしながら一方,中国に関してはGreat Wall Cardiology International Congress of Cardiologyという大きな国際学会が今年で10回目を迎え,また来年はWCCが北京で開催され,この分野における進出が目覚ましい.このような状況を脅威と感じるのは筆者だけであろうか? 今一度,循環器あるいは医学の分野で,わが国がアジアのリーダーシップをとるには何が必要か考えてみたい.
(百村伸一)

2010年1月号

 11月末,アメリカ・オーランドで開催されたAHAから帰ってきたところでこの編集後記を書いています.演題を分野ごとにCore 1~7と分類し興味のある演題を見つけやすくする,など新しい試みが導入されていました.筆者は10数年前から毎年AHAに参加していますが,今年は例年より参加者が少ない印象を受けました.世界的な経済不況の影響でしょうか.アメリカでは,科学研究費が削減されたため旅費が捻出できずに,参加をあきらめた研究者も多かったようです.学会への製薬・医療機器メーカーからのサポートが激減したと聞きました.機器展示は例年より地味で,派遣されている社員も少ないように感じました.とはいえ,筆者は多くの人に会いサイエンスの刺激を受け,充実した時間を過ごし帰ってきました.
 今月号のHEART's selectionには大阪大学の澤教授の企画による「わが国における心臓移植」が取り上げられています.1999年に心臓移植が3例行われて以来,2009年11月末までに,計65例の心臓移植が国内で行われてきました.わが国の心臓移植を受けた患者さんの生存率は諸外国と比較して非常に良好です.しかし,件数は欧米や韓国,台湾に比べて少なく,国内の心臓移植施設には補助人工心臓を装着した症例も含め,多くの重症心不全の患者さんが待機しており,移植待機患者の管理は切実な問題です.拒絶反応に対する対策など医学的なことは大切ですが,ドナー不足をわが国特有の状況に配慮しながら改善することが希求されています.
Meet the Historyを楽しみにしている先生方は多いと思います.今月号は寒川賢治先生の「ナトリウムペプチドファミリーの発見」についての興味深いエピソードが満載です.
2010年も編集委員長の山口 徹先生を中心に皆様に役立つ雑誌をお届けできるように努力します.本年が「心臓」の読者の皆様にとって良い年になりますことを祈念します.
(竹石恭知)

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