日本心臓財団刊行物

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耳寄りな心臓の話(63話)『ふた心なきダブルハート』

『ふた心なきダブルハート   

川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)
 
 
 
  「ふた心」や「ダブルハート」は「二枚舌」などと同様に、心に表裏のあることと解釈されることもありますが、ここでは治療の対象となる心臓のほかに目に見えないもう一つの心臓もあるのだという話と、もうひとつの心臓を横に植え込むピギーバック式心臓移植の話です。さらに、おまけのような話として、ペンダントの金銀のダブルハートの代わりに手軽に紙で作れる紅白のメービウスの輪の作り方を披露することにします。


エッセイ集『ふたつの心臓(ハート)』
 大阪医大名誉教授の武内敦郎先生が心臓疾患領域の専門看護雑誌「ハートナーシング」(メディカ出版刊、2003年)に長く連載されたエッセイ集のタイトルで、その序文に『私は38年にわたって心臓外科に携わってきたが、その間に患者さんの心の在り方によって手術後の回復経過が影響された実例を少なからず経験した。つまり人間には手術によって治さねばならない目に見えた心臓の他に「もうひとつに心(ハート)」があって、その状態の把握や治療も医師や看護師にとって重要なことであると気づかされた』と語っておられます。外科医には珍しく温厚な先生で、心臓外科の現場から退かれた後も後輩の指導と共にペースメーカー友の会総会などにもよく顔を出され、会員の皆様とも親しく語っておられましたが、呼吸不全で入退院を繰り返されついに戻らぬ人となってしまいました(図1)
 繰り返すまでもなく、病は気からとも言われますように、気持ちの持ち様で良くなったり悪くなったりすることがあり、心臓手術後の治療経過にも影響のあることは、著者もしばしば経験してきました。
 63図1・2.jpg 小説『ダブル・ハート』
 札幌医大の整形外科講師だった渡辺淳一の処女作に近い作品であり、1968(昭和43)年、同医大で実施された本邦初の心臓移植手術を背景に、大学病院の外科医が医師としての自分の本分と、かつての恋人の夫が心臓の提供者すなわちドナーであることを知って、その間で悩む物語となっています。この『ダブル・ハート』も後に『白い宴(うたげ)』と改題されて角川文庫、文春文庫より出版され、1975年10月から3ヶ月にわたりTVで『冬の陽(ひ)』として放送されました(図2)
63ず3.jpg 小説では「ダブルハート方式」といって不全心はそのままに、もう一つの心臓を背負うように植え付ける異所性心臓移植が行われています。通常の心臓移植では不全心を取り出した跡に新しい心臓を植え付けるのですが、小説ではレシピエントの心臓はそのままに、ドナーより摘出した心臓を背負うように横近くに移植するという当時としては未だ実施されたことのないピギーバック方式の設定になっています。
 閑話休題。フロリダ半島東岸の岬に面したケープカナベラル発射基地から轟音とともに打ち上げられる向井千秋君搭乗のスペースシャトル・ディスカバリー号を見送りに現地に出向いたことがありました。任務を終えて、エンジン無しで両翼と制動用パラシュートのみで地上に帰還するには、海風の影響を避けるために、宇宙飛行管制センターのある内陸のヒューストン基地と決められているようです。
 帰還したシャトルをケープカナベラルへ戻し次の打ち上げに備えるために、747型ジェット専用機の背中にシャトルを固定して運ぶことになり、その珍しいおんぶ姿もピギーバック方式として報道されています(図3)
 本邦初の和田心臓移植では重症連合弁膜症の18歳男性の心臓を取り出し、その後に溺死寸前で脳波が平坦になったとされる21歳男性から心臓を植え付ける同所性心臓移植でしたが、惜しくも83日目に心筋組織の拒絶反応と感染症のために死亡されました。その数ヶ月後に同じ大学病院の整形外科講師によって心臓移植を題材にした長編小説「ダブル・ハート」が上梓されたのですから、移植術式は異なるというものの、こちらも大きな話題になりました。このことを境に渡辺淳一氏は大学病院を辞してメスを手放し、ペン一本で行きてゆく決意をされたそうです。
 
 
ピギーバック式『ダブルハート』
 和田心臓移植が実施されたのは、南アメリカ・ケープタウンのクリスチャン・バーナード博士が世界初の心臓移植に成功してから9ヶ月後のことで、世界的にも30例目の手術でしたが、これら全ての術式が同所性心臓移植でした。この後わが国では脳死を死とするかどうかの議論が長期にわたって重ねられた末の1997(平成9)年に脳死臓器移植法が施行され、30年振りに合法的な心臓移植が再開されました。2016年末までに国内での心移植287例、海外渡航心移植104例、世界では約6万例が実施されましたが、うち異所性心臓移植は1,000例と2%ほどにすぎません。63図4.jpg
 通常の心臓移植はレシピエントの心臓を取り出した跡地にドナー心を植え付ける同所性心臓移植方式ですが、レシピエントに肺高血圧がある場合やドナー心が小さすぎて単独では賄いきれないと判断された時のみ、ドナー心はそのままにして心臓近くにおんぶした状態で植え付けるもので、異所性あるいはピギーバック心臓移植と呼ばれています。二つの心臓が拍動を続けるわけですから、ダブルハートとも言えます(図4、5)63図5.jpg
 このピギーバック方式での心臓移植の第1例も1971年にバーナード博士によって実施されたものでしたが、通常の異所性心臓移植に比べて問題点も多く、自己心内の血栓形成、不整脈、右肺中葉の圧迫などの合併症も無視できません。したがって、積極的に選択すべき方式ではなく、緊急避難的にのみ選択されるべき方法とされています。
 アメリカの心臓移植のメッカであるスタンフォード大でも、2004年に22ヶ月女児に実施されたピギーバック心臓移植例はそれまでの同大での心臓移植1200例の中で唯一の例でした。

 
63ず6.jpgメービウスの『ダブルハート』
 若い世代にはハート型のペンダントが人気で、高級宝飾店・ティファニーなどでも特に金銀二つのハート型リングをクロスさせた「ダブルハート」が売れ筋と言うことです。ここでは、だれにでも手の届く紙テープでのダブルハートをご披露させていただきます。
 長方形の紙(テープ)を一回ひねって両端を張り合わせて得られる曲面をもつ輪をドイツの数学者メービウスに因んでメービウスの輪といい、テープ幅の中央を切り進んでも輪は大きな輪となって二つの輪に分離しません。さらに、メービウスの輪にも「ダブルハート」がありまして、輪のテープ幅を切り進むと、通常はねじれた一つの大きな輪になるのですが、メービウスの輪を特別な形で二つ結合させてテープ幅を切り進むことで二つの心臓がリンクして現れます(図6)
 ここで少し工夫して紅白に塗り分けた輪を、いろいろな形で繋いで切り進むと、独立した二つのハートが現れるのですが、時にはなんとリンクした紅白のハートの生まれることがあります。正に熱々の紅白ハートの登場で、結婚式の披露宴などでの実演がよいと思いますが、実技の詳細は紙面の都合で別な機会とさせていただきます。
 たまたま「ダブルハート」の文章を準備中、2016年度のノーベル物理学賞がメービウスの輪やクラインの壺などの基礎的な位相幾何学(トポロジー)の理論的発見に授与されたことは嬉しいニュースでした。 
 
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